傷付く事なら恐れない優しさを試されるのが辛いのです

(「コスモスドリーム」詞:阿木燿子)

あけましておめでとうございます。
初夢はバクトリア地方当たりの100万都市で皆殺しを命じられた千人隊長役でした。
どういう夢ですかね(苦笑)

夢といえば結構昔の夢を見たりしますが、元カノに言われて未だに忘れられない台詞がありましてね・
「上総君は結局誰のことも好きじゃないのよね。私に対してもそうだけど、自分も好きじゃなくて。
笑っていても目が笑っていなくて冷え冷えとした目で世界を見ている感じ。好きだとか、楽しいとか思ったことある?」

言われたときは結構ショックでしたが(もちろん振られたのもありますがw)

今思うと実際そうだよなぁと思います。
きっと愛っていうのは形にして確かめようと思うとその途端消え失せてしまう幻のようなものだからでしょう。
最後まで分析せず、形にせず、確かめようとせず、曖昧なまま愛し続けることが出来る人だけが幸せになれます。
僕にはムリですね。
それどころか、美しいものも醜いものも砂漠の砂のように無感動に捉えるようになってしまいました。
墨の目に見える世界は、まるで真夜中につけっぱなしのホワイトノイズのテレビのようです。
愛を囁く天使が居ても、僕の目には盛りのついた犬の鳴き声にしか聞こえないのです。

僕みたいな人間が生きていて、もっと生きたい!成し遂げたい!という人が死んでいく世界というのはなんて矛盾に満ちているのでしょう。
でもそれは単に確率の収束に過ぎないので仕方ないことです。

それにしても、死にたくないという呪いの言葉が生物の本質ですが、死にたいと願った生物にならなかった方はどうなるんでしょうね?
虚数世界の向こう側で逆転してるんですかね。
まぁその死にたくないという言葉すら存在してるかどうか怪しいですが。
意外と死に絶えた生き物のほうがハッピーな気がします。
呪いから解放されてねw