結局の所僕にも家族は「いない」から羽川翼に共感するのだろう。
元々家族を知らないのだから、「見知らぬ誰かと家庭を築く」という行為が自分と無関係のものとして認識されるのももっともな話だ。
キリンを見たことがない子供に、首が3mある動物の話をした所で嘘つき呼ばわりされるだけだ。

僕には愛という概念がわかりません。
僕には人とつながるということがわかりません。
僕は人に優しくされることが苦痛です。
敵意を向けてくれる人間のなんて心地良いことか。
それは私に無条件で殺していい相手を与えてくれます。
人を愛せない人間にとって、敵を滅ぼすという行為だけが、生きていくのに必要な意味なのです。
でも世の中の大人は、とても狡猾なので、素顔を隠すので、敵意を向ける人はいません。
敵意を向けるにもコストが掛かるのであり、大人になればなるほど愛と同様憎しみも特別な相手にしか向けられないのです。
だから愛だけではなく敵意すら、「人間」に向けられるものであって、「人でなし」に向けられるものではなかったのです。

果たして、特別な存在になれない私は自分すらも概念に変え、概念を愛し、概念に憎しみを向けるようになるわけです。
具体的な何者かを愛せないので、憎めないので、抽象的な何者かをそうするしかなくて。
そういう関数になった私が、生きていて
「人間」が死んでいく
[世界]というものはどれだけ醜悪なのでしょうか。