幻想の近代市民

ドイツ・ファシズムは、イタリア・ファシズムと同様、小ブルジョアジーの背に乗って権力にのし上がった。
ファシズムは、小ブルジョアジーを、労働者階級の諸組織や民主主義の諸機関を叩き壊す破城槌に変えた。
だが権力の座についたファシズムは、小ブルジョアジーの支配とは縁もゆかりもない。
反対にそれは、独占資本の最も無慈悲な独裁なのである。
ムッソリーニは正しい。中産階級は、独立した政策を推進することができない。
大恐慌の時期に、彼らは、2つの基本的階級のうちの一方の階級の政策を不条理にまで持っていくために呼び出された。
ファシズムは、彼らを資本に奉仕させることに成功した。
トラストの国有化や不労所得の根絶といったスローガンは、権力獲得とともにただちに投げ捨てられた。
それどころか、小ブルジョアジーの特性に立脚したドイツ「領士」の連邦主義は、現代資本主義にとって有用な警察的中央集権体制に場所を譲った。
国家社会主義の国内外政策が成功を収めるたびごとに、それは必然的に大資本が小資本をさらに押しつぶす結果を招くだろう。


(「国家社会主義の肖像」レオ・トロツキー)


実際の話、高邁な哲学者が彼にふさわしい理想の王国を夢見た所で、それを構成するのは不完全で理想とは程遠い人間なのだ。


故に、理想は不完全な泥人形の上にではなくて、個々人の想念の中に創られねばならない。
その想念によって不完全な世界への諦念を昇華させねばならない。


そうでなければ、皆が千年王国を築くために、他者の庭を踏み荒らし、相争わねばならないだろう。