最後の時に眠った歪な愛の記憶
脆弱な心が耐え切れずあの日嘘をついた

皆幸せになりたいだけなのだが
よりコストを少なくよりリターンを多くするという生命体の本質が
そして、その利益差に敏感であるという人間の特質が
総体としての生態系として表出すれば
それは滅びに向かうしかなかろう

何かを維持しようとすることは、エントロピーに相反する行為であり
それに反する世界を現出しようとすれば、それは個々人の個々の行為において常に相当のコストの積み上げを必要とするから
人間がコストに敏感な生き物であるからこそ、そこになんらかの理念、理想と呼ばれる合理に基づいた知的洗脳が与えられなければ、全ては崩壊に向かうのである。
そして全ての人間に叡智を与える行為そのものがエントロピーに反しているという最大の矛盾がそこに存在する。
生み出す人よりも、維持する人よりも、奪うだけの人のほうがコスト安でありリターンが多いから、この両者がまともに競争するならば前者が勝つことはできない。従って社会がそれ自身を維持しようとする構造を失ったとき、そこにはもはや裸の人類そのものしか残らないだろう。
その本質は滅びの加速者。動物としての宿命。所詮、動物は二酸化炭素製造機でしかないのだからAI付きになっていたとしても、それはおまけみたいなものだ。

[舞-乙HiME]

王が王であるためには、高貴さが高貴さであるためには、自ら高貴であろうと、王であろうとする必要がある。
確かに生まれながら高貴であるから高貴であり、王であるから王なのではあるが、ただの人間がその民族、その社会そのものであろうとするのならばそこにはそれなりのエネルギーが注ぎ込まれねばならない。本人が高貴である事を棄ててしまえば、代わりに他の事柄でエネルギーを充填せねばならない。その結果、神格化や巨大な儀式、秘密警察、拷問、洗脳、その他必要あらざるものが生まれることになる。
王という単語がその語源において族長、すなわち、民族を救いうる偉大な指導者から生まれたものである以上、従うものが従われるものに求めるのは、自身にはない巨大な災厄に対する解決能力なのである。

追伸。なんかアルスラーンの剣を抜くときのシーンを思い出した。
まぁあれはちょっと違うけど。

ところで・・・トモエちゃんはどんなプレイをしてたのか気になる・・・