[マジカノ]

でまぁそこそこ暇つぶしには面白かった作品なんですが締めを誤ったって感じの終わり方でしたね。

ありきたりの展開だったというのもありますが、ありきたりの展開というのは逆の意味で言うと、視聴者が予想しやすい安定した終わり方だといういい点もあるわけです。

だから丁寧に締めれば、ありきたりの終わり方というのも良い印象を与えるわけで・・・
その点、マジカノの最終回は、あんまり丁寧じゃなかったと言うか。

まぁ原因は分かってるんですけど。

最近、コストの関係からか、深夜でしかも1クール(13話)だけの放映数とうアニメが増えてます。
これは同じ期間放映しているのに、1クールを二つ契約する金額よりも2クールを一つ契約する金額の方が高いという現場の事情が影響してます。

このマジカノも例に漏れず深夜、U局、1クール放映なわけですねwww

13話って意外とすぐなんですよ。だからちゃんとした起承転結を描くには少し尺が足らないのです。とは言え2クールでは、もし、番組が視聴者に受けず、利益が見込めない状況になったときに受ける金銭的被害が大きくなりすぎます。
3話目で話題にもならず、DVDも絶対売れないのが分かっているのに、残り23話も流さなくてはならないわけですから。

という訳で、起承転結を描くのには足らない放送話数を頂いた監督は、
その13話をどのように起承転結に振り分けるでしょうか?

そもそも、アニメはスポンサーの広告で利益を得られる構造にはなっていないために、利益はDVDを買ってもらった収益で得なければなりません。
それ故に、

1 まず視聴者に注目してもらう
2 気に入ってもらって購入してもらう

とこの二つがポイントになります。
この結果、話数振り分けが 起に偏ることになります。
さらに、悪いことに、最近の深夜アニメのターゲット層は萌え重視の方が多いために、どうしても水着回や各キャラ担当回を入れなければなりません。

このため、どうしても最後の【転結】部分の尺が足らなくなり、酷い時では最後の一話で転結しちゃうということになるのです。

ちなみにマジカノでは12話で転、13話で結でした。
しかも漫画原作がまだ続いているために、またいつでもアニメの続編が作られるようにせねばならず、結の部分の演出や脚本までも縛りが多くなってしまいました。

その結果が・・・

時間巻き戻りエンド

なんだそりゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あかほりさとるだってそんなオチにはしねーーぞ!!!
「あのね!」オチはあるけど(苦笑)

そういうわけでマジカノはまぁ時間が余ってれば見てもツマラナクはないけど、忙しい人は見る必要はないし、DVDはよっぽどのファンじゃなければ買う必要はないよね?
って作品でした。

[近況?]

上総さん、最近は政治経済や学術系の話題書く事少ないですよね?
と知り合いからメールを貰った。
確かに少ない。
でも偶然じゃなくて、意図的に少なくしているわけです。
何故かと言うと、あらかたの問題が、その原因を突き詰めていくと2,3の物事に集約していて、語っても「またそれか」となる確率が高いこと。
個人的に、【世の中】への期待感とか【社会正義】への欲求が薄れていること。
これはとくに「自分の理想」と「他者の理想」が根本的に乖離しているという事実に気付いたからなんですが・・・
自分自身が大切にしている価値観が社会的には無価値である時、人間がどのような行為に走るかというと、自分の価値を社会に広めていくか、社会を切り捨てていくかどちらかになると言えます。
社会の切り捨て方も色々ありますが、積極的には破壊行為に及んだり、山の中で隠遁したり、6畳アパートに引きこもったりとあり、消極的には「どの道周囲の人には理解されないのだから」と適当に人間関係を流すようになったりします。
自分の価値を他者に押し付けていく行動の結末は、必ず闘争や流血の事態に至り、お互いが酷い時は肉体的に、日常的には精神的に征服しあうことになります。
そういうのが好きな方はそもそも社会正義なんてどうでもいいわけで、僕自身と真逆にある方と言えるでしょう。

そもそも、人間は生命であり、生命は物理法則にしたがっているわけで、その法則そのものがエネルギーの循環という永遠不滅の現実によって生命に生滅興亡、喜怒哀楽の変化を与えているのですから、人間が考える理想世界は甚だ矛盾に富んだ具現化するのに大量のコストを支払わねば維持できないものであるはずです。
そしてさらに人間の考える理想世界と私の考える理想世界は異なるのですから余計に実現不可能であることになります。

人間が生きていられるのは達成感や価値観とそれに付随する目標が存在するからだと思うのですが、この目標自体の実現性の高低の程度がその人の所謂「やる気」の大小に直結しています。
この際確認しておかねばならないのは、これは現実的な実現可能性ではなくて、その目標をもっている当人が認識している実現可能性だということです。
どんなに荒唐無稽で実現不可能性が高い目標であろうとも本人が必ず達成できると考えている限りは「やる気」はなくならないでしょうし、どんなに簡単ですぐに実行できそうなものでも当人が絶対無理と思っている限りは「やる気」は全くなくなってしまうわけです。

私はちょっと小利口に生まれてきてしまったために、自分の理想や価値観というものがあからさまに砂上の楼閣の上にしか構成できないもので、しかも他者はそんなもの毛ほどにも大事だと思っておらず、どんなに呼びかけても、どんなに行動しても決して実現しないことを「知って」しまっています。
これが馬鹿ならどんな困難な目標であっても力の限り突き進み、その目標に届かないとしても、なんらかの偉大なことを成し遂げるでしょう。

馬鹿のなんて素晴らしいことか!!!

知性が役に立つのはその知性がコントロールできる範囲や力を及ぼす限界が大きい場合であって、想像すれば分かると思いますが、アメーバーが最高の知性を持っていたとしても何事もなすことはできないわけです。

こんな知性ならない方がましだ

人間という哀れな砂粒に知性を与えたものがあるとすれば、それは相当悪意を持っているとしか思えません。
なすべきことだけ分かっていて、なすことができない存在があるとすれば、それは最も哀れな生き物だからです。
なすことができないものならば、そもそもわからない方がいい。
自分ができることだけ理解できる方が人間にとっては幸福なのです。


さらに本当に小利口で要領のいい人間は、成し遂げることの出来ない問題に関しては、なかったことにしたり、問題そのものを違うものに替えることが出来ます。

私がこういう類の人間だったらどんなに幸福だったか。
悪く言えば私は不器用で頑固で、使いどころのない存在です。

喩えるならば、巨大戦艦のモーター部分に使うために作られた世界で最も難い合金歯車です。
何故なら、もはや巨大戦艦が作られることはなく、その歯車は大きすぎて流用することも出来ず、硬く融点が高いために溶かしたり削ったりして使うことも出来ないからです。

どの人間も何事をなすことも出来ないというか、結局何かをしているように見えても、何もしていないという点では同じ存在なのですが、その事を理解してしまうと、そもそも生きている意味すらもなくなってしまいます。それが今の僕の現状な訳です。

生きている意味などないのだから、さっさと死んじゃえばいいのですが、この体というのは生きたいと思った時にはケロッと死んじゃうくせに、死にたいと思った時にはなかなか死なないもので困ったものです。

まぁ塩化カリウムとか注射すれば死ねるんですけど、なんかそういうのも積極的に行動したくないと言うかw

自殺ってかなり莫大なエネルギー使う行為なわけで、自殺する人のそういうエネルギーを別の所に回せばかなり「社会」にとっては役に立つと思うんですけどね。

基本的に人生に厭いている人は自殺しないと思います。自殺ってなんか「生きたい!」「もっと良く生きたい!」ってメッセージな気がしますものね

こっちは「人生に良くも糞もねーよ。」と思ってるので。もっと良く生きられると思っているのなら、その生き方を選択すればいいので。

という訳で、なんとなく、夏目漱石草枕を思い出しますねっと。

俺絶対、中世人だったら修道院に入ったり、出家してたりしそうだよな・・・