本当の貴方と本当の私が
出会える場所まできっと行けるはず
運命に背いて 涙を散らして
それでも会いたい

(「nowhere」詞:梶浦由記 歌:南里侑香)

行動心理学的には優しい人間と言うものをこうとらえる。
ある個体に特有に性質として優しさがあるのではなく、他者にその行動を行うと優しいと認識される行動群が存在し、その行動が発起しやすいスケジュール下にある状態に個体がある時、その個体は優しい人間であると。
この考え方の場合、優しさという属性はあくまで行動に付随し、その行動は環境と行動とのコンビネーションによって支えられているから、その個体が全く異なるスケジュール下に置かれたときには、その個体はその異なる環境と行動の相関がもたらす新しい行動群を得ることになろう。
つまり、真面目な人間を不真面目にする事が出来、優しい人間Wの優しくなくす事が可能である。というのが行動学的な発想である。
当然、消去しにくい行動群と変更させやすい行動群が存在し、人によっては長い時間を掛けた強化(ある行動を頻発させるために行動しやすい環境を作り上げる事)によって、洗脳のようにある行動を止めない事もある。

何が言いたいかというと、犯罪を犯す人間は犯罪を犯すような強化が為されており、犯罪を犯している環境そのものを変えねばならないという事であり、犯罪を誘発するような強化が為され続けて、ほとんど消す事が出来ない場合は、どんな場合であっても存在そのもの、つまり生命を消去せねば社会的害悪でありつづけると言う事である。

人は改心などしない。人がするのは行動の変容のみなのであるから。

つまり私は全体主義者であり、規制を必須と考えている。
と同時に私は自由主義者でもある。
その事は決して矛盾をしない。
それは個体の自由が最大になって尚且つその総和が最大になるような規制こそが正しいと考えている事に他ならない。
つまりその規制がなければ、おそらくある個体は自由と充足を最大化させるために奔走し、その他の個体のそれを狭矮な場所に押し込めようとするだろう。
それが生命の本質だからである。

声優

盛岡二高と聞いて桑島法子を思い出したり
青山学院と聞いて大原さやかを思い出したり
国学院と聞いて浅野真澄を思い出したりするのはアニメファンとして末期だそうです(^^;

ちなみに京都大学だと永井一郎
早稲田だと若本規夫です。
慶應だとゆかなや松来未祐川瀬晶子ですが
東工大にはさすがにいないですねぇw

広橋涼龍谷大まで行くと本当にマニアックな気もします(^^;