愛と憎しみ、善と悪、光と闇はゼロサム

流れる時も去る時も 同じ空の下を行く
愛だと知ればつらくなる 守りたくなるからつらくなる

綺麗な夢のその果てに 悲しみが舞う世界を
あなたのためにこわしたい 新しい命で会うために

(『綺麗な夢のその果てに』作詞:畑亜貴 歌:千葉紗子)

京ぽんだと携帯から書き込めるからいいですね。

舞-HIMEの続編、舞-乙HIMEの企画内容も続々明らかになってますが、なんか人気順に出番増やしてるみたいで嫌だなぁ

いくら人気がないからって命を猫にしちゃあ清水愛がかわいそうな気がする

ちなみに私が一番好きだったキャラクターはヨゴレ担当の玖我なつき嬢でありますが
やっぱり人気あるのでちゃんと主役級で出るみたい
今回もツンデレでまぬけなんでしょうか?

コミケに行く中村君と斎藤君(サークルの後輩)MARUTOさんの本買ってきてね(他力本願)(笑)

でお盆ですが、お盆といえば死者の霊が帰ってくるとかいう習慣が日本にはありますね。
実はこの盆というのは日本独自のイベントでして、仏教にはそんなものありません。

ついでに死者の霊が存在すること。さらにそれが帰ってくるということが、既に高天原的な世界観で、仏教的じゃないですよね。

原始仏教では(現在仏教と認識されているものと異なっているので敢えて原始とつけて区別している)そもそも、輪廻の主体となる霊魂(アートマン)の実在について否定しているのです。

霊魂の実在を唱えるのは伝統的なバラモン教やヒンドゥ教の考え方で、その流れを受けた仏教の一派が密教です。

このようにお釈迦様の悟ったであろう教えと異なっているものが存在しているのが仏教であり、それで原始仏教と書かなければならない訳です。

ついでに霊魂が帰ってくるという考え方はウパニシャッド(バラモン哲学)に照らしても日本的でインド的ではありません。

何故なら死んだ後で霊魂は次の生命体に入り込んでいるわけで、既に受肉しています。
インドでは霊魂の存在する世界を規定しないので、霊魂が前世の形態を維持して帰ってくるという考え方自体がナンセンスです。

日本では、高天原とこの地上(豊葦原)と冥府(根の国)は歩いて移動する事ができます。つながっている世界なんで、霊も帰ってくることができるわけですね。

っていうか法事ってめんどくさい(笑)