……すなわち現代の男性は、金銭の武器をもって戦うところの、暗黒闘争時代の闘士であります。無良心、無節操なる暴力とか策略とか言うものを平気で、巧みに行ない得る男性が勝者となり、支配者となりまして、そんな事の出来ない善人たちが、劣敗者、弱者となり下って行く証拠が、日常到る処に眼に余るほど満ち満ちているのであります。……ですから世界中が優しい、美しい、平和を愛好する婦人たちの心によって支配される時代は、まだまだ遙かの遠い処に在ると申さねばなりません。


(「少女地獄」夢野久作)



現象学的発想で言えば、対立する二つの属性(この場合には男女であるが)の片方に善悪の位置付けを行った場合、もう片方が無関係であることはありえない。
さらに、相互依存的、非自性*1、他性的*2であるこれらでは、片方が及ぼす影響はもう片方の影響であると考えざるを得ない。


男が悪く女はよい。女は悪く男はよい。という意見はよく聞かれるものではあるが、前述の考えに拠れば、双方が間違いであることが分かる。
男が悪いならそれは女が悪いからであり、また男が悪いとしてもそれは女だけのせいではない。
逆も然り。


古今東西、男を行動に駆り立てるのは男自身の持つ快楽の欲求であり、その一部に女への欲求がある。
その欲求を満たすには女の欲求を満たさざるを得ず、よって男の行動の一部は女の欲望によって駆動される。
女においては欲望の一部を男が提供してくれる以上、自分自身で自分の欲望を叶える手段の1としてその行為の何割かは人形を操作する類のものとなろう。


このように社会文化は、世世代の男女の循環的欲望の連鎖によって常に変容、維持されている。


女が家に居ない、子育てをしないから。
もしくは男が家庭を顧みないから。
各々異なる理由で子供達がいかにモラルを無くしているかと責任をなすりある風潮があるが、どちらも間違いだといえる。
今の社会モラルを決定している社会構造が、男女に共通である以上、子供の持つ価値観はそれに従属するものにしかならない。
昭和初期の男女が作った社会構造を現代の俎上に乗せてみた所で、現代の子供達が昭和初期の考え方をもって生まれてくるはずがあろうか。


子の世代のモラル低下を嘆くのなら、まず自分達のモラルが如何様になっているか、その自省をしてみるのが先ではないだろうか。

*1:自ずから発生しないもの

*2:他のものが原因になって発生するもの