よろこびはすべての事物の永遠を欲してやまぬ。深い、深い永遠を欲してやまぬ
(「ツァラトゥストラはかく語りきニーチェ)

さて、今期の新作があまりに丁重なのでかねてからの懸案であった2005年作品の総括をはじめようと思う。総括っていうとなんか第3インター臭いな。まぁいい

[ARIA The Animation]

監督-佐藤順一の真骨頂というべき作品であった。
より断続的で強度の刺激が求められる昨今の傾向の中で、このような全体調和的な演出をすること自体が難しくなっているが、原作が元々まったりしているおかげか貫き通すことができた。
原作の風味を失うことなく、その中に演出者としてのメッセージ性を含め、世俗的にも形而上学的にも観ることができるというのは非凡である。

単純に観察すれば、柔らかで伝統的な音楽、優しさとかわいさに溢れた少女達、光と水の異国情緒に満ちた都市ネオ・ヴェネツィアというギミックが目に付くだろう。
まごうことなく、それがこの作品の最も顕著で最も美しい特徴ではある。
作品視聴中はその効果により、人はまどろみの中で多幸感を味わうことができるだろう。

だが、この作品は美しい表層の中に別の深層を抱え込んでもいる。

ARIA 原作ではなくアニメとしてのARIAの主題は四季であり回帰であり歴史であり人生である。
演出の上でもそうだ。
例えば、第1話、ネオヴェネツィアの春の朝はARIAカンパニーの看板から始まる。
そしてそれは、極日常的な朝食の準備の風景を経て、ルーティンワークである主人公の生業、ウンディーネへと移る。
そして最終話では物語は冬の夜明けを迎え、人と人のつながりと、次代の生命へのかかわりという副題を捉えつつ、ARIAカンパニーの看板に終わるのである。
これは意図的にループであることを示し、我々の世界側での作品と、彼の世界側での作品では時間の流れが異なること、彼女達の物語は永遠に続くのだと暗示しているのである。

この作品には悪の魔法使いも正義の味方も、世界の破滅も超能力も、予言も運命も何も出てこない。
この作品には起承転結はない。よしんばあったとしても各話中に終始する。
何故なら人生に起承転結はないからである。
人生に終わりはない。物理的に死と言う終わりがあったとしても、それは物語の結実を示すものではない。単に永遠の日常がそこで昇華されるだけの事である。
何故なら世界の日常は彼一人のものではなく、世界そのものであるから。

夜は来た。しかし日は昇り流浪は続く。宿木はある。しかし私は旅立つだろう。

ところで、この作品、ひたすらマイペースに進むので眠くなるのが問題だと思う。
飽きやすい人、アクションやハイテンションな笑いを求める人には向かないので気をつけられたし

総合点数 72(B+) S>A>B>C>Dの五段階
作画   A
サウンド S
脚本   B
キャラ  B
エンタ性 B

ちなみに個人的点数はAだけどねぇ・・・あくまで公平に採点する気です
Bが普通。Cは悪い。Dは誰が見てもだめだろ?ってレベル
逆にいうと誰が見てもいいだろ?ってレベルがSで好みによるが大半はいいと思うだろ?ってのがA

例えば灰羽連盟でやってみると

作画  S
サウンド S
脚本   A
キャラ  B
エンタ性 C
総合点数76(B+)

ってなる。個人的には上からSSSASで総合点数98点(S-)なんだけどなぁ(^^;