そして無にもなれずに無明を彷徨う歪んだ肉細工
  だけど無にもなれずに無明を彷徨う歪んだ肉・・・

(「さよならを教えて」作詞:さっぽろももこ)

どうすれば醜いものが
  蔓延ったこの世界
  穢れずに羽搏いていけるのか

(「聖少女領域」作詞:宝野アリカ)


命は餌だ。
食う方も食われる方もとどのつまりは餌だ。
だがそれは意味ではない。
何故生きているのかは説明できるが、なんのために生きているかは説明できないから。
アミノ酸そのものは情報でそれが集まって複合情報になって、さらに集まり定常的に放流される情報になる。
生命とは餌という情報の総体でしかない。
情報には意味がある。
だが生命には意味がない。
情報には受け手と受容体があるが
生命にはそれがない。
生命のための生命。生きるために生きる。死なないために生きる。
同時に死ぬために生きる。死ぬために死ぬ。だって餌だから。
誰のための餌でもない。餌のための餌。全てが餌。
流れるための流れ。無定見のカオス。
今日も呪いのように死なないために、餌のために、親たちは有漏の生を吹き込み続けている。
当の本人達は堅く祝福だと信じながら。
私はそれを責めない。
流れはその方向にあり、生命はその流れにある。
・・・本当に生命が無漏の道に進む事ができるのだろうか・・・
それは果てしなく矛盾に満ちた設定だ。
死すらも予定調和の流れの中にあり、生きても死んでも情報として意味を持ってしまう。
生と死は有であり、生でも死でもない無を目指すと言うのは・・・
これも呪いなのかもしれないね

 「愛で人を殺せるのなら、憎しみで人を救えもするだろう」
つまりは、人を救うと言う事の無意味性だろう。愛も憎しみも同種なのだから。